最近「嫌われる勇気」を再読しました。
自分の思考の修正方法を確認するうえで参考になるのではと感じたからです。
最近、仕事やプライベートでくよくよしたり気持ちが落ち込むことががあります。
そんなタイミングで、たまたまこの本を思い出すきっかけがありました。
再読してみると、本書の最初に出てくる「目的論」が、自分の思考と行動の軌道修正のプロセスを説明するうえで、参考になりそうでした。
良い機会ですので、目的論を頼りに、そのプロセスを言語化してみたいと思います。
目的論とは
本書には語り手である青年がいます。
彼の友人が自室に引きこもっている話を、聞き手の哲学者(哲人)に話します。
すると哲人は言います。「それは彼のなかにそう考えたい「目的」があるのです」と。
「外に出ることなく、ずっと自室に引きこもっていれば、親が心配する。親の注目を一心に集めることができる。まるで腫れ物に触るように、丁重に扱ってくれる。
「嫌われる勇気」P31より引用
他方、家から一歩でも外に出てしまうと、誰からも注目されない「その他大勢」になってしまいます。見知らぬ人々に囲まれ、凡庸なるわたし、あるいは他社より見劣りしたわたしになってしまう。(略)」
目的論とだけ聞いてもピンとこないかもしれません。
しかしこうした具体的な事例を聞くと、ギクリとします。
「本当の狙い」というふうに言い換えるとしっくりくるかもしれませんね。
自分の行動に当てはめるとどんなときか?
この青年の友人のように、目的論が悪い方に作用する経験はありませんか?
わたし自身、よくあります。気分が落ち込み、その結果ネガティブな行動を取ってしまいます。
そんなとき、これではいけないと思いつつも、行動を変えられずに落ち込んだままの気分に浸り続けてしまうんです。
しかししばらくそのままでいても、期待した状況に好転することはないと、気づきます。
目的論的に言えば当然で、状況の好転が目的で落ち込んでいるのではないから。
例えばわたしの話ですが、先日いろんな業界の人が集まる体験型の研修で、名刺交換のタイミングを逃してしまいました。自分から交流するのが苦手なわたしは、トイレに行くふりをしてその場を立ち去りました。そして、いつか誰かがわたしと名刺交換をしていないことに、気づいてくれるのを待っていたのです。
ご想像のとおり、その後も、声をかけられることはありませんでした。
しかしこのことは、目的論の視点からすると、自分の内なる目的を達成している、というわけなのです。
自分なりに目的論を活用する
とはいえ書籍にもあるとおり、この状態は決して「不満はあるし、幸福というわけではない」です。
どうしたら穏やかな気持ちに戻せるだろうか、そう願いますよね。
ここでもう一度目的論の出番です。
とはいえ、わたしは目的論を厳密に理解しているわけではありません。
自分の行動を変えるためにこんなふうに考えた、というプロセスがあります。
それが目的論を用いるとわかりやすく感じたので、紹介します。
①なぜこんな態度・行動を取るのか、「目的」を感情レベルまで考える
昔アンガーマネジメント研修で知った言葉で「一次感情」というものがあります。
これは、態度や行動の根っこにある感情のこと。
例えば、みじめだ、恥ずかしい、怖い、甘えたい、情けないといった、人にはとても言えない、なんなら自分でも気づきたくないほどの根本的な欲求です。
ネガティブな行動を取っているときの自分の一次感情、奥底にある感情は、何だろう?
これに意識を向けて考えます。
それこそが、自分がとっている行動の、目的論で言うところの目的(ほんとうの要望に近いもの)だからです。
先程の例の、名刺交換タイムに立ち去りふさぎこんだわたしの行動の目的は、以下のような感じだったと言えるかもしれません。1階層深い、感情まで思い出すことがポイントです。
これは自分のネガティブな気持ちを率直に言語化する行為であり、かなりしんどいプロセスです。
考えるというよりも「掘り出す」「見つける」といった感覚に近いかもしれません。
②本当はどういう状態になりたかったのかを思い出す
①では、「嫌われる勇気」の目的論で言うところの「目的」と、さらにもう1階層深いところにある感情を見つけ出しました。
しかし、ここで終わりません。
次のプロセスは、①が出せていれば、①ほどは難しくない気がします。
なぜなら、①のプロセスでは、これが叶っていない状況と、そのときの感情までを思い出したからです。
本当は、①で思い出した状況のままいたいわけではなく、ちょうど逆の状況を望んでいたはずなのです。ですので、①のプロセスで思い出した状況を裏返します。
例えば先程の名刺交換の例ではどうでしょう。わたしの本来の目的はこんな感じでしょうか。
③じゃあどうするといい?
ここまでのプロセスだけでも、十分自分の態度や行動には影響するように思います。
しかし、②の本来の目的を達成するまでは、自分の目から見える状況(世界)は大きくは変わりません。人は世界を、見たいように見ますから。
ですのでさらに、「②の状況にするには、自分はどんな行動を取るのか」に意識を向けます。
もちろんこの行動が正解かどうかはわかりません。
やってみるしかありません。
あとはこれをやるかやらないかです。
わたしの例の場合も、腐ってその場を離れるという行動から、まったく違う行動に変えるわけですから、思いついた行動をすべて完璧にやるのはとても難しいことです。
しかし実際にはほんの少し行動を始めるだけでも、見える世界が、変わっていくと思うのです。
わたしは結局、この行動を取りました。
名刺交換タイムに最初からやっておけば得られた結果の100点満点とはいかなかったかもしれませんが、自分で行動を変えられたというほのかな自信、達成感が得られました。
本当は知っているんですよね。取るべき行動を。誰に教えられなくても。
なお、行動を変えるための視点に関しては、こちらの本も超おすすめです。
大好きな書籍です。
陥りやすい思考の癖がある
こうしたことを何度か体験し、自分の意識に着目していると、自分がネガティブな思考や行動を取るときは、何かを望んでいることの裏返しであることがだんだん自覚できてきました。
その望みを叶える行動を取らず、「落ち込むのは、これこれがあったからだ」と、自分の解釈を優先したい自分がいる。
そこには隠れた目的(望み、理由)がありました。
「嫌われる勇気」の「目的」は、一次感情とその正当化なのだと思います。
今回紹介したやり方で自分の気持ちを丁寧に観察し、ネガティブな目的と行動をオセロのようにひとつずつ裏返していき、本当に得たかった状況にしていけると良いですよね。
目的論を活用して行動を変える
「嫌われる勇気」の目的論を参考にして、思考と行動を見直す自分なりのプロセスを、3ステップで書いてみました。
正直なところ、自分自身のひとつひとつの感情に意識を向けるのは、結構きつい作業です。
自分の恥ずかしい部分や、本当の目的や感情に目を向けて、俯瞰する。
そのことにトライすることに他なりません。
そんなふうに考えを切り替えるのは難しい。(自戒)
一方で、やろうと思えば何らかのリスクも取る必要はなく、すぐにでもできることでもあります。
ただ、考えられる気持ちや時間の余裕をもつ必要はあるかもしれませんが。
だからこそアドラーは「勇気」という言葉を使うのでしょうね。
結局、自分を変えてあげられるのは、自分だけなのですよね。
目的論に限った話になりましたが
ここまで書くと、「嫌われる勇気」の他のページの言葉ともリンクしてきます。
最後に、それらの言葉を引用して終えたいと思います。
言うまでもなく目的論は本書の根幹・スタートの部分だけの知識であり、もっと多くの哲学にあふれています。
「嫌われる勇気」は、何度でも読める良書です。
まだ読んだことのない方はぜひ手に取ってみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学です
「嫌われる勇気」P113より引用
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない
「嫌われる勇気」P281より引用
他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
「嫌われる勇気」P212より引用